Manual Medicine 大場 弘 Blog 

マニュアルメディスン(徒手医学療法)は全身をトータルに捉え身体の連関性を追求する医学です。
ここではマニュアルメディスンによる治療法や、症例などをご紹介していきたいと思います。

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神経系の不思議 オートポイエーシス論
オートポイエシス
(河本英夫先生の「オートポイエシス」を参考に考察しました。)
 
生命は動きつづけ、みずからのありかたを自分自身で形成してゆきます。
動きつづけることで、同じ初期条件から異なった結果を生じさせる多様性を生み出しています。それが生命のはたらきといえるでしょう。
 
動物の個体発生は一個の細胞から開始されます。一個の細胞が分裂を繰り返しながら、しだいにさまざまな組織・器官へと分化してゆきます。同じ一個の細胞に由来するものが、一方では神経細胞になり、他方では免疫細胞になります。システムの作動を通じてひとたび特定の性質をもつ変数が入り、それによって継続的に作動がおこなわれれば、システムの作動が維持されたまま別立てのシステムが分化されてゆくのです。
 
生命の有機構成(オートポイエシス)とは、作動することによってみずからの構成要素(たとえば神経細胞)を産出し、そのことで自己の境界を定めてゆくシステムとされています(たとえば神経網となるでしょう)。
さらに、オートポイエシスはみずから産出したシステムを再産出することができるような構成素(たとえば神経網)があるとき、ただちにシステムとして作動を開始し、作動することをつうじて構成素によって作動する境界(位相空間;機能的な領域)が設定されます。
 
有機体をオートポイエシスのシステムとすると、その特徴として自律性、個体性、境界の自己決定、入力と出力の不在があるとされています。(オートポイエシスの提唱者:マトゥラ&ヴァレラ)。
 
ここで神経系をオートポイエシスとみなすことができるのか大きな疑問が出てきます。その一つが「入力と出力の不在」というところです。神経系は外界から刺激を受けて、外に向かって行動として表れますので、「境界の自己決定」「入力と出力の不在」とはどうゆうことなのでしょうか。
 
河本英夫先生は、19世紀初頭のヨハネ・ミュラーの「特殊神経エネルギー説」について言及しています。この学説の基本的な要項を次のようにまとめています。
 
  • 外的作用因によって生じさせることができる感覚は、すべて内的原因が神経の状態に変化を引き起こすことによってつくりだすことができる。
  • 同一の内的原因は、異なる感覚器官においては異なる感覚を引き起こすのであって、各の感覚器官において、その特有の感覚が生じる。
  • 同一の外的原因は、各の感覚器官の特殊な資質により、各の感覚器官において異なった感覚を引き起こす。
  • 感覚器官の各の神経に特有な同一の感覚は、いくつかの異なった原因によって引き起こされうる。
  • 感覚において感受されているのは、外的身体の質や状態ではなく、むしろ感覚器官そのものの神経の質であり状態である。
  • 各の感覚の神経は、特定の感覚だけを喚起しうるのであって、他の感覚器官に特有な感覚を感受し引き起こすことではない。
  • 大脳に含まれる神経の中枢部分が特殊感覚を感受しており、感覚器官と連結している末梢の部分は関与していない。
  • 感覚器官によって獲得された情報は、各の感覚器官でその神経の質とエネルギーの関係によってさまざまに変化してゆく。
 
この学説はきわめて斬新的です。外的な刺激にかかわらず脳は固有の活動をおこなっていることを1800年代にすでに洞察していたわけです。各の感覚器官でその神経の質とエネルギーを今日的な表現をすれば、発火頻度Frequency of Firingということになるでしょう。神経系の内部ではただひたすらニューロンの発火を繰り返しているだけで、みずからのネットワークを拡張させ、そのはたらき(位相空間)の境界をつくりだしていることになります。これまでなんどかブログの中で言及してきた喩えですが、道具を自分の手の延長とするはたらきです。
 
神経系はニューロンの発火を繰り返し、さまざまな感覚器官から得られた情報によってネットワークを産出し、自己と環境の境界を設定する位相空間(生命のはたらく領域)をつくりだしています。このとき環境はこの境界によって感知し得るもの/感知し得ないものに区切られます。感知し得るものは自己となり、感知得ないものは外界の環境となるのです。
オートポイエシスとしての神経系は、一貫してその境界を産出し続けており、その境界は変動します。普段は気にならない換気扇のモータの振動が、ひとたびそれに気づくと、その振動に悩まされるようになり不眠になる人もでてくるのです。免疫系にあっては、今まで自分の身体であったものが非自己として認識されるようになり、自己免疫疾患へと進むこともあるわけです。
 
さて、ここで問題になってくるのは、入力も出力もないというシステムが、環境とどのような関係となるのかということになります。システムは閉じており環境と区切られているわけですが、環境なくしてシステムもなく、システムもなく環境もないと言われるのです(ニクラス・ルーマン)。
 
「環境は作用関係でみれば、内部も外部もなくシステムに浸透している」と河本英夫氏は述べています。
「システムの構造はその環境を巻き込んで成立しており、環境から言えばシステムの作動に巻き込まれていることになり、こうした事態を相互浸透と呼ぶ」と山下和也氏は述べています(「オートポエーシス論入門」)。
 
相互に浸透する関係、相互に絡みあう関係と言われても、なかなか腑に落ちないところです。やはり物理的な世界と生命の違い、それは次元の違うことを一緒に語っているからでしょうか。次元の違うところで重なり合っているからでしょうか。ただ明らかなことは、身体は生命のはたらく場であり、しかも物質的でもありますので環境に巻き込まれていることです。
 
身体のなかにあって異なるシステム、たとえば神経系と免疫系となったとき、こうしたシステムの関係とは?・・、となるとますます難しい話となってゆきます。
 
有機体のシステムを考える上で、オートポイエーシスは潮流の渦として存続、発展してゆけるのでしょうか・・・
 
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