Manual Medicine 大場 弘 Blog 

マニュアルメディスン(徒手医学療法)は全身をトータルに捉え身体の連関性を追求する医学です。
ここではマニュアルメディスンによる治療法や、症例などをご紹介していきたいと思います。

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6月30日 復興支援チャリティーセミナーの再度のご案内です
 

東日本を襲った大地震と原発事故から2年、

喉元過ぎれば熱さを忘れるということなのでしょうか、あのときのおもいはすっかり薄れてきています。

それでも地道に活動を続けている先生方もおられます。そうした先生方の後方支援となるように、今年も復興支援チャリティーセミナーをおこなうことになりました。
今回はPTの阿部靖先生が企画をたててくれました。そのご案内です。

 

 

【復興支援チャリティーセミナー】


稀代の治療家3人の座談会とセミナー

日時:630日(日)

内容:座談会by 伊澤勝典、本多直人、大場 弘.

・鼎談「身体呼吸療法の奥義を語る」から8年、稀代の治療家3人はなにをみつめてきたか

・実技セミナー:最近の身体呼吸療法の実技

 

時間:(受付開始9:30

10001200 鼎談「身体呼吸療法の奥義を語る」

13001750 最近の治療実技

場所:日本リハビリテーション専門学校(イセビル校舎)


参加人数:40名  参加費:20,000円(当日受付にて)

※事前の参加申し込みが必要です。申込先はEmailにて、お名前と連絡先をお知らせください。fn.manualmedicine@gmail.com

※参加者には後日、座談会の内容を原稿にしたものや写真集のプレゼントを予定しています(阿部)。

 

   身体呼吸療法のスペクタクル  クリックで挿入

<大場ワールド>

「我々は身体に触れていろいろなものを感じ取っているわけです。その基本としてみているものとなると、やはり身体の律動性のある内圧変動ということになります。それを通していろんなものを感じ取ることができるわけです。命の営みにリズムを通して共感するということでしょうね。」(身体呼吸療法の奥義を語る)

Dr.サザランドの頭蓋療法は、オステオパシの伝統を引き継いだ頭蓋と脳脊髄液がテーマで、それに第一次呼吸メカニズムという髄膜を介した頭蓋骨と仙骨の連動性を軸に原初的な呼吸運動を考えているわけです。ところが私の提唱する身体呼吸療法は、東洋的なハラ呼吸から腸管(消化器官)を介して顔面骨にいたる呼吸軸を考えています。Dr.サザランドが背面の呼吸運動を考えたのに対して、私は内臓的な呼吸運動の軸に気づかされたのです。こうした二つの呼吸運動の統合として身体呼吸を考えています。私は、医療技術として合理性のある治療法へと発展できたらと思って、いろいろと勉強しながら試行錯誤をやってきたように思います。」(研修会 談)

 

 

<本多ワールド>

「術者と患者さんの〈いのち〉の活きが引き込みあうようにして、私たちも知るべくもないような、身体という枠組みを超えて広がっている世界に出会うところに、身体呼吸療法の深さも又、あるのです。私たちは、この深みのある世界で感じる呼吸感のようなものを「場の呼吸」と呼んでいます。風に葉がそよぎ、鳥が鳴き、川は流れます。場の呼吸の世界も、それと同じなのです。あたりまえのようですが、それが、〈いのち〉の姿なのです。

患者さんの身体に静かに耳を澄ますようにして触れ、そこから音を聞き、そして更に、術者自身の身体に響いてくる音も聞き、そこから私たちは、教えられるのです。

身体呼吸、いやそれを超えた場の呼吸が、身体を照らしだします。深いところからの動きや、質感、リズムなどの全てが、身体の今を照らし出すのです。私は、場の呼吸に出会うということは、身体を再発見することであると思います。そして、最初に述べたように、私たちを包んでいる〈いのち〉の海に出会うということだとも思います。

宇宙の〈はたらき〉が、鏡のように映し出されている身体に出会うと言ってもよいかもしれません。もちろん、身体のリズムもいろいろです。でもいろいろで良いのです。そこから発見することが大切なのです。そのままの〈いのち〉の世界には、正解もありませんが、間違いもなく、良いところも、悪いところもありません。どこが良いとかどこが悪いというような“判断”そのものがないのです。全てが〈いのち〉の活きそのものの姿なのです。

身体が大きな生命に包まれて、内側から溶け出していくような広がりを感じるとき、私は意識でそれを捉えることを止めて、私と患者さんの“身体全体で作用し合う”という姿勢に変わります。理解する私から、作用する私に変わるとでも言えば良いでしょうか。私も患者さんの身体に影響されて共振しているような体験に出くわすのです。作用するものと作用されるものが、大きな命に包まれて循環的になるときに、本当の治療が生まれると私は考えます。」(日本カイロプラクティック徒手医学会 講演原稿)

 

 

<伊澤ワールド>

「はらというのは、実体はなく、ある意味、概念的な象徴みたいな部分でもあると思うのですが、今まで末期癌の方なども触らせていただいた経験と照らし合わせても、共通する感覚なのですが、はらの輪郭を感じ取ることができるのです。はらの底から湧き上がるようなエネルギーを感じるのではなく、はらの奥底の存在を感じられるとでもいうのでしょうか、生と死の揺れ動く場の間に見出すことができる不思議な感覚です。その奥底に焦点を合わせていると、ある人はどうしようもなく空虚な感触であったり、ある人はわずかながらもグッと踏ん張るような息づかいみたいなものを感じたりと非常に違いを感じます。こういった感覚はその後の経過や臨終の時の様子と比べてみると、成る程・・と思わせる部分もあり、自分の無力さからくるせつなさと相成り、複雑な気持ちになってしまいます。」(身体呼吸療法の奥義を語る)

「境界の領域はほんとに危ないんです・・・。自己が不安定だとなにか戻って来れないような感じになってしまうこともあります。 感覚の閾値が桁違いになるようです。

内圧面の壁と外圧の壁の間に、私がいった皮膚の領域の世界があります。あたりまえのように感じている時間の感覚が無い世界です。・・・この話はしてもわかるのは大谷先生くらいでした。(注:日本古来の「筋膜療法」を伝承されている大谷周作先生のこと)」

「いじめられている子供の身体を触るとそこには閉鎖空間としての身体しか感じない。・・・弱々しく、痛々しく、そして無力感をその身体の筋肉を通して感じ取ることが出来ます。・・・無力な子供の中に圧力はなく、外界に強い圧力があるのです。身体を支えているのは足ではなく、皮膚とその境界に上積みされている閉鎖性と孤独感という質を持った厚い壁であるという印象を私は持っています。」(マニュアルメディスン85号)

 

 

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