Manual Medicine 大場 弘 Blog 

マニュアルメディスン(徒手医学療法)は全身をトータルに捉え身体の連関性を追求する医学です。
ここではマニュアルメディスンによる治療法や、症例などをご紹介していきたいと思います。

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まっすぐに歩けない
歩行中の偏りはなぜおきる?

 

ネットに次のような質問がありました。

74歳になる父のことで相談したいのですが、最近自動車の運転時に中央の線に寄り気味なのが気になっていました。最近父の横を歩いていますと、無意識に右へ右へと歩いているように感じます。注意するとまっすぐに歩くようにできるそうですが最近無意識にそのようになることがあるそうです。」

これに対する回答は、耳鼻科への診察を受けなさいということでした。回答者は平衡バランスに問題があるという判断なのでしょう。

 

私自身、車を駐車させたときにまっすぐになっていないことに気づきました。前はこんなことがなかったのに。車を駐車するときにサイドミラーに頼っていますが、サイドミラーはそもそも凸面ですので、サイドミラーのせいでまっすぐにならないのかなとも思ったりするのですが・・・、それもやはり歳のせいで平衡バランスや脳の空間認識がおかしくなってきているのでしょうか。ただ歩いているときどちらに偏るということはありませんが。

 

なぜ歩行中に偏ることがあるのか調べてみました。

一過性脳虚血で歩行が一方向に偏ることが神経症候学で指摘されています。しかし、それがどちらの方向に偏ってゆくのかとなると記述がありません。そこで理学療法士の阿部靖先生に尋ねてみましたら、麻痺側に流れることがあるのですが、どちらかというと千鳥歩行のように両側に流れるように感じられるとのことでした。その理由は、一瞬麻痺側に流れるのですが、その流れを元に戻そうと伸展筋が活性化するので健側にも流れていたように感じるとのことです。また、一過性の方がリハビリに来るときはほとんど麻痺も回復しているので、残る症状は身体感覚の再統合がうまくいかないこともあって歩行の動揺が起きているように感じると教えてくれました。

 

脳卒中の後遺症で歩行障害のある患者さんでは、プッシャー症候群という奇妙な現象がみられることが知られています。これを最初に報告したのはDavisという医師で、麻痺していないほうの手や足でベッド柵や車椅子などを押してしまい、麻痺しているほうに倒れていってしまうというのです。麻痺していない側から麻痺している側への押す現象が、脳の障害でよく見られるようになり、プッシャー症候群として知られるようになりました。患者は障害のある側の反対方向すなわち麻痺側へ傾斜する傾向となり、歩行では健側への体重移動が困難となるというのです。

 

プッシャー症候群について書かれている記述を引用してまとめると次のようになります。

・脳梗塞の後や、脳萎縮やアルツハイマー型認知症など脳にひろく影響がおよんだ場合にあらわれる。

・プッシャー症候群は運動維持困難、病態失認、認知症などの脳全般的障害と関連する。

・プッシャー症候群の主たる原因としては頭頂葉の障害によって視覚、迷路、固有感覚の統合がうまくいかず、体の位置関係を修正することが難しくなっているものと推測されている。

・劣位半球(右脳)の頭頂葉の障害が推測されているため、左麻痺に多い。

・半側空間無視を伴う。

・立位では麻痺側に重心が寄る。

・立位では健側が短縮し、患側が伸長している。側彎のような状態となる。

 

このように、大脳半球に病変がありますと対側(麻痺側)に重心が寄り、歩いていると対側に偏って行く傾向がありそうです。

しかし、こうした歩行中の偏りは、すでに脳に重大な疾患があってのことですから、そうした状況に陥っていない状態、いわば機能的な障害の場合はどうなのだろうかと疑問が出てきます。言い換えれば、歩行中の偏りがなにかサインとしてあらわれている前兆とみなせるかのかどうかということでもあります。

 

最初の質問にあった方の、車を運転しているときも、歩いているときも片側に寄ってしまう傾向は、はたして平衡バランスの問題だけなのでしょうか。

 

私がまっすぐに車を駐車できないということにもなにか機能神経学的な障害があるのでしょうか。そこで自分でできる検査をやってみました。

まず、踏み足検査です。目を閉じてその場で足踏みを50歩ほど繰り返してみました。なんどかやりましたが、どちらかというと右方向にいくぶん回転する傾向があるような感じです。右上肢がなにか重い感じがあり、意識がそちらに向いてしまうようなところがあります。

次に、バランスボードの上で、目を閉じて足をそろえてバランスをみてみました。安定して立つことができますので、バランス感覚に異常があるわけではありません。

閉眼書字検査というとても役立つ検査法があります。最初は目を開けて縦方向に自分の名前を、書道をするときの姿勢で書きます。つぎにその横に、こんどは閉眼で縦に書いてゆきます。縦に書いた文字が明らかに傾くようでしたら、小脳の機能バランスに問題があることになりますが、私の場合には異常はみられませんでした。

 

そこでまた自分で考案した検査の一つですが、視覚的な正中線と、閉眼での脳内イメージにおける正中を調べてみましたが、これも問題がありませんでした。

 

小脳の平衡機能バランス、大脳皮質での視覚的な認知も問題がありません。

そこで気になるのが眼球運動のバランスです。眼球の動かし方に偏りがあるかどうかです。眼球運動が上下左右斜めに滑らかに均等に動いているかどうかです。

これも私が考案した紐二等分検査が役立ちます。自分で自分を検査するとなりますと、テーブルの上に紐(長さ約80cm)を水平に置き、それを二等分するポイントつまみます。正しく中央をつまんでいるかどうかは、つまんだところをそのまま上に持ち上げて、紐の両端の長さを比較すればわかります。これを、縦方向、斜め方向に置いて、同じように紐の中央をつまんで調べます。だれか検査してくれる人がいましたら、その方に紐の両端を持って、眼前に広げてもらえばいいわけです。

 

人の感覚とはすごいものです。ほとんどくるいもなく真ん中をつまむことができます。

正確なことを言いますと、水平方向では1cmくらいのずれはよくあります。これは左脳と右脳の活性度合を反映したものです。線分二等分検査をおこなっているときは、右脳が空間認識としてより活動しますので、線分の左側に対してより注意が向けられるために二等分点が左にシフトしてしまう傾向があります。

 

私の場合に、ここで明らかな異常がみられました。右上方/左下方に斜めに置いた紐の二等分点が右上方に56cm大きくずれるのです。これはとても大きな誤差としてあらわれています。

 

自分で眼球を動かしてその動きのかたさを感じてみますと、左下方への動きが制限されている感覚があります。

眼球運動にアンバランスな動きがあるとなると、それは頭頸部の筋緊張に反映します。もちろん逆のこともあります。とにかく、眼球運動と頭頸部の動きは相関しています。

 

これで私の問題がとりあえず絞り込めました。

さて、これを改善するための方法を次に考えてみようということになります。

これには眼球運動のリハビリを行えばいいわけです。

私の場合、まず左下方への眼球運動を促進します。そして次に、左下方になにか指標を定めて、それを注視しつつ、頭部を右後方へ傾ける運動をおこないます。

これをときどき繰り返して眼球運動と頭頸部の緊張バランスを整えることにしました。

結果は、車を駐車するときの車の向き方で判定できることになるでしょう。

息苦しさ、息ができないという愁訴
 

横隔膜の呼吸と呼吸困難感

 

 

徒手療法に来られる患者さんでは、力を抜くことができず張りつめた緊張を全身的あるいは局所的に帯びている人達が少なくありません。こうした患者さんの愁訴は、胸が息苦しい、肩が上げづらい、頸筋から肩の筋肉の緊張や凝りがとれないなどいろいろです。こうした患者さんをみていますと、横隔膜の呼吸運動が左右どちらかが著しく低下し、胸郭に歪みがみられます。すなわち拡張した側と縮小した側がみられ、しかもときに同じ側の胸郭であっても上と下どちらかがわの肋骨が沈んで、胸郭が縮小していることがあります。

 

横隔膜の呼吸は不随意的であります。本来、横隔膜の呼吸運動はまったく身体の自然の営みであって、自分の意思で横隔膜をコントロールして息を吸うことはできません。横隔膜の呼吸運動は自律的なのです。安静時の呼吸は、意識されることなく横隔膜が静かな呼吸運動を営んでいますが、意識的に横隔膜を深く呼吸させようとしても無理なのです。横隔膜を深く運動させるためには、身体を使って運動するしかないのです。

 

それでも腹一杯に息を吸い込めば横隔膜がはたらいているのではないかと言われるかもしれませんが、意識的に呼吸を深めるのは横隔膜を使っているのではなく、腹筋や呼吸補助筋などを使った呼吸です。腹筋を使ってできるだけ最大限に息を吐ききり、その反動を利用し横隔膜を下降させて息を深く吸い込むことはできるでしょう。

 

呼吸法も、息をできるだけ長く吐ききり、そこで息を止め、息を吸いたくなったら自然に息が入るようにしたら、より深い呼吸ができるのです。“息を吸って-息を吐く”ではなく、息を吐いてから息を吸うことが大事です。

 

横隔膜の呼吸は、延髄の呼吸中枢によって生命維持のために自律的に行われているのですが、息を吐くことは意識的にコントロールできるのです。話をしたり、歌ったりすることは、息を吐くことが基になっていますので、呼吸は大脳皮質のはたらきによって制御される一面があるのです。それにストレスもあるのですが、過換気症候のようにうまく息が吸えないという感覚からなんとか息を吸おうとパニックになってしまうこともあります。

 

呼吸は、延髄の自律的な活動を基に、さらに上位の中枢(橋と大脳皮質それに大脳辺縁系)によって修飾される多重支配下にあると言えます。

 

不定愁訴を訴えている患者さんが力を抜くことができず自然の呼吸が制限されているということは、横隔膜の呼吸が抑制されているように思えるのです。心的に上司から圧迫感を受けているとか、仕事の重圧とか、意識されないところで身体は無意識の裡にかなり影響を受けています。

 

最近、呼吸困難感という愁訴があることを知りました。血中の酸素飽和ども高く、実際に呼吸困難になってしまう疾患はないのに、呼吸ができないという感覚に陥ってしまっているのです。

呼吸ができないという感覚はどうして起こっているのでしょうか。

 

横隔膜の呼吸に抑制がかかっているのでしょうか?

それとも、まるで鎧(よろい)をまとったように、緊張で固くなった胸郭に関係しているのでしょうか?

 

まず呼吸の神経学的なしくみがどのようになっているのか整理してみる必要があります。

まず横隔膜を支配している神経線維ですが、これは横隔神経と呼ばれ主に第4頸髄レベルの運動ニューロンからはじまります。呼吸筋である肋間筋は胸髄(Th1Th11)から出た肋間神経に支配されます。

 

感覚神経となりますと胸壁の筋、腱、関節には機械的受容器が存在しますが、肋間筋などにある筋紡錘は息苦しさを感じさせることに深く関わっているようです。

呼吸筋と胸郭の関係で、吸気筋が収縮してもそれに見合うだけ肺・胸郭が拡張しないと呼吸困難感(息苦しい、息が入らないなどの自覚症状)が発生するという「長さ―張力不均等説」がCampbell Howell によって1970年代に報告されています。

また、呼気中に吸気筋(内肋間筋上部)へバイブレーターによる振動刺激を筋紡錘へ与えると呼吸困難感が増大し、逆に呼気筋を刺激すると呼吸困難感が軽減することが報告されていますストレスが高まると、情動性の呼吸によって胸郭が固くなり、呼吸筋から脳へとつながる感覚神経が過剰に反応し、呼吸筋の働きを狂わせてしまうというのです。(本間生夫、中枢ー末梢ミスマッチ説)

 

確かに、Dr.Carrickの得意技のひとつ、呼気のかたちでロックした肋骨を瞬間的に吸気相にアジャストするテクニックはけっこう奥深く修得するのが難しいのですが、胸郭の歪みを改善し、呼吸運動を深めるためにきわめて効果的な方法であることを臨床で実感します。

胸郭の浅層筋膜にコンタクトし、タイミング良く行うカイロプラクティック・アジャストメント(熟練を要する高速低深度の瞬間的なインパクト)は、吸気相へと、筋紡錘のゲインをリセットできます。

私自身が考案したテクニックもあるのですが、これも固くなった胸郭を全体的に弛めるのに最適な方法です。

 

胸郭がかたく歪んでしまっていることから、呼吸困難感が生じると考えることに十分な根拠があることがわかりましたが、それでは横隔膜の呼吸運動に問題はないのでしょうか。

私はこれまでの臨床経験から、大脳皮質からの延髄呼吸中枢(吸気ニューロン)に対して抑制をかけるのではと思っています。引き続き検討してみたいと思います。

呼吸中枢
 

臨床的な立場から、大脳皮質の活動は横隔膜を抑えているように思えるのですが・・・

 

身体呼吸療法の施術に際し、患者さんの身体の呼吸が変わることを触感しています。

特に患者さんがフッと眠りに入った瞬間は、身体の呼吸の律動性が変わります。こうした観察から、大脳皮質が呼吸の律動性を抑えている印象をもつのです。

 

当然のことながら運動時に比べて安静時の呼吸は浅く、入眠時にはさらに浅くなると思われていますが、身体の内圧変動を触診していますと、入眠時には高まる印象があります。これは横隔膜が覚醒時よりも深く動き出すからだと思うのです。イビキをかいている人の様子をみればそれがわかります。

 

睡眠中も自律的に呼吸運動が保たれているわけですから、本来の自然な横隔膜の呼吸運動は眠りに入っているときにあらわれるものと思われます。

 

脊髄から上位の中枢神経系をみてみますと、横隔膜の運動ニューロンに直接連絡する延髄の呼吸中枢があります。延髄の呼吸中枢は背側呼吸ニューロン群と腹側呼吸ニューロン群に大別されます。背側呼吸ニューロン群は主に吸気活動を促進し、横隔神経を介して横隔膜の活動を担います。同時に、末梢の化学受容器からの情報も舌咽神経や迷走神経の感覚線維を介して弧束核へと入り、そして橋の呼吸調節中枢に送られてきます。吸気によって肺胞が広がると、呼気へと導かれる反射もあります。

 

一方の腹側呼吸ニューロン群は呼気に関与しています。呼気は発声に関わりますので、咽頭や喉頭の筋を支配している迷走神経や舌咽神経にも関与してゆきます。また、吸気時に気道内が陰圧になったとき虚脱を防ぐために咽頭や喉頭周囲の筋緊張を高めています。

 

このように延髄の呼吸中枢には呼息ニューロン群と吸息ニューロン群があり、自発的な発火を繰り返し、呼吸リズムを発生させますが、その調節のためのニューロン群が橋にあるのです。この橋の呼吸中枢は呼吸調節中枢と呼ばれます。動物実験では、橋の呼吸調節中枢のはたらきがないと持続性吸息apneusisに陥ります。肋間筋や横隔膜の呼吸筋が吸気の状態で収縮したままになります。橋の下部に、吸息ニューロンを持続的に興奮させる中枢があるからです。この中枢が橋上部の呼吸調節中枢によって断続的に抑制されているのです。

 

人の死「息をひきとる」ときの最後の瞬間、静かにスッーと吸息ニューロンの発火を最後に永遠の静かさのなかに入ってゆきます。しかし、周辺に広がる命の波紋はしばらく続いているのですが・・・

 

呼吸運動は随意運動であると同時に、脳幹の呼吸中枢によって自動的に制御されていますので、橋の調節ニューロンが延髄の呼吸中枢を制御している図式になっています。延髄は主に息を吸うために活動しようとします。これに抑制をかけて転換をはかり、規則的な呼吸リズムの調節にかかわるのが橋のはたらきであることがわかります。大脳の活動と相まって橋の活動が高まると延髄を抑制することが高まるのかもしれません。根拠となる研究論文は今のところみつかっていませんが。

 

大脳皮質の活動が横隔膜を抑制するのかどうかという疑問が先にありましたが、これは確かにありそうなことだと思えます。自律神経の活動という別の観点から考えてみましょう。

 

吸気は不随意的・自律的です。これに対して、呼気は随意的な活動の色合いが強いのです。

吸気筋である横隔膜は横隔神経の支配だけでなく、迷走神経の運動神経線維によって横隔膜の脚が支配されています。横隔膜は迷走神経の活動に関連しているとみなせます。すなわち吸気は副交感神経の活動にともなって高まります。

一方、力を出すことは交感神経的な活動であるとも言えますので、呼気は交感神経的な活動であることが推察されます。瞬発的に拳で突くときにハァッと息を出したり、筋トレのときには筋肉を呼気に合わして収縮させていますので、より強く力を出すためには呼気が有効です。

 

都会で働く人達は、デスクワークばかりでほとんど身体を動かすこともなく過ごす毎日です。しかも緊張を強いられるストレス下にさらされ休暇を取ることもままなりません。

交感神経の活動は過度に亢進させられています。深い呼吸はできにくくなっているはずです。このことは大脳皮質の過剰な活動が、横隔膜の深い呼吸から遠ざけている理由にもなるでしょう。

 

神経系の不思議 1
 

工場で人間と一緒に働いている機械のロボットを見ますと、彼ら?は実に正確な動作を定められた軌道と手順でおこなっています。そのようにプログラミングがなされているわけですが、正確さを期するために、アームなどの機械そのものたわみや、部品のゆるみは許されないところでしょう。精密な機械になりますと、ノイズとか部品の弾性的な不確かさといった物理的な特性がまったく無いものとしてプログラミングされます。

 

ところが人間の身体となりますと弾力的であり、どこか身体の歪みが生じたりしますと、いろいろと各パーツにも影響が生じてきます。それでもどこかでがたつきを吸収して、不自由さを感じることなくいつもの滑らかな動作をおこなうことができています。たとえどこか怪我をしてもそれなりにやっていけることもあるわけです。これは、固い骨や柔らかい組織それに弾力的な関節からなる上肢が物をとろうと腕を伸ばし手にしたとき、ある程度予想した重さと実際の重さからそのとき腕にかかるたわみと揺らぎはすぐに減衰し落ち着くべくところに自然とおさまるからです。数限りない固有感覚受容器のフィードバックシグナルが中枢に伝えられるわけですが、予想された状況であればうまくおさまった軌道で自律的に円滑に運びます。

 

中枢神経系が機械に組み込まれたプログラミングのようなはたらきであったら、とても状況の変化に対応できるものではないようです。精密な機械であればそれだけきわめて高感度な装置によって正確さを保証しなければなりませんが、人間の身体となりますといつも微妙に違っていますから、そうした違いに過剰に反応していては困ります。身体は弾力的であるからこそ、多少の変動は吸収し状況の変化に作用されず安定した動作ができているところがあります。そうしますと、神経系はそうした自分自身の弾力的な特性を織り込み、物を持ったり運んだり、道具を使ってなにか作り出したり、あれこれと外界と絡みあった適切な動きをそのときどきでつくりだしています。しかも道具を自己の手の延長のように一体化させて巧妙に操ってもいるわけです。物は、自分自身の腕と手指と同様に自分の身体の一部として身体化された道具として認知するのです。外界の物を自己に取り込み一体感をもつわけですから、神経系とは実に不思議なはたらきをしているわけです。

 

神経系の不思議 2
 

ゴキブリを見たとたんギャッーという悲鳴、なぜあんなに嫌がられるか・・・

それにしてもあのすばしっこさには目を見張ります。叩こうと近づく人の動きを感知して素早く狭い隙間に逃げてしまいます。ゴキブリの腹部の後ろに、二本の尾角があり、それらは敏感な毛で被われ、風の速度や方向を感知して逃避行動をとるそうです。

 

まさか人間のように危ない!と心でつぶやくことはないでしょうが、その後、物陰でじっと気配をうかがっているように見えてしまいます。

 

ゴキブリが近づいてくる人の脅威を感知し素早く身をかわすその速さは0.2秒だそうです。これに関わる神経回路には100を超える介在ニューロンがあり、現在位置と周辺環境に関連する情報を参照し、逃避行動がコントロールされているとのことです。

このゴキブリをコンピュータでシミュレーションする研究があり、それで分かったことは、あのような見事な逃避行動をとるために、すべてを統制する中枢(中央処理装置)は必要ではなく、その代わりに脚が独立した知能をもつことで、おおまかな整合性のとれたふるまいができるというのです。中枢(脳)がコントローラーとして細かく関わっているのかとなるとそうでもないというのです。

 

これまでの考え方からしますと、脳の中で内部モデル作り出され、それに基づいて指令書となるプログラミングがなされているというプロセスになっています。「問題領域の諸特徴を表象し、それらの表象をアルゴリズム的に変換する」ことが必要と考えられているのです。

しかし、手や指が動いた時点で前の状況とは異なります。そしてまた新たな変換が必要で刻々と書き換えられていかなければならないということになります。あらゆる面で中枢がこうした作業をおこなうとなると、確かにたいへんなことです。

 

会社などの組織として考えてみますと、司令塔としてはこうしてもらえたらいいと意思を伝えれば、あとは下の者がそれぞれの務めでうまく機能し合い、うまく事を運んでくれたら頭(ヘッド)としては方針を決定することに専念できます。流動的な状況の中では、常にトップが中央集権的にすべてを制御するということは現実的ではありません。

 

現場では作業内容に支障が起きないように、ひとり一人が柔軟に対応すれば即対応ができますので無駄がありません。そのために現場の人にはそれなりに柔軟に対応できる能力が必要です。しかし、すべてをただ受け容れるわけではありません、それなりに制限があり、受け容れに抵抗を示します。そのために外的な状況に応じた動揺が起こるわけです。その結果、なんどか状況に応じたさまざまな動きが繰り返されるでしょう。

 

それでもなすべきことがあるわけですから、そうした動揺(誤差や変動)をおさめて、あるところで落ち着こうとします。ちょっとでも違ったら受け付けられないという頑ななところがあると、もともとうまく機能しません。連続的な中での変化は、ある作業をやめて別の作業を始めるということでもないので、同じ作業を続行できるさまざまなやりかたから、これではというもっとも適したパターンがつくられます。

 

また現場を監督するものも、状況に即したかたちで即興的に必要な策を準備することも必要です。そのために関係するところで連絡を取り合ってその状況に適した新たな指示を出すこともあります。いずれにしても、外的な接触(交渉)により生じたランダムな揺れが、その場の状況に応じたパターンへと収束するというプロセスをたどります。

 

神経系も中枢に向かって階層的なしくみになっていることは明らかですが、頂点に向かって中央集権的な機構にはなっていないという見方があるのです。末梢の神経細胞が集団となった神経節から、脊髄、脳幹、小脳、間脳、大脳とそれぞれのレベルでの神経細胞の集団が織りなすネットワークは分権的でそれぞれが対等なのかもしれません。

たとえば手と指を使った動作では、サルは木の枝をつかんでぶら下がりながら移動するように、手指全体を開いたり閉じたりする動きを基本に、さらに指の組み合わせで食物をつまむなど、複雑な手指の使い方をデザインしてきたものと考えられます。そして究極的には、ピアノを弾く人間の手指のように10本の指を素早く巧妙に操る動作になるのです。そこには神経活動の促通と抑制が複雑に絡みあいます。もちろん小さいときからのピアノを弾く運動学習があってのことですが、それは系統発生的に用意された古い使い方のパターンに、新しく運動学習によって身にけるパターンを重ねているのです。使えるリソースをうまく使っているということです。脳は系統発生的に階層化されて発達していますので、古いパターンは下位の階層の神経活動のネットワークとして、新しく運動学習されたパターンはさらに上位のネットワークへと重層的にひろがりをもっていることが考えられます。

最下位の階層にある古いパターンから、それより上位の中間層を巻き込みより身体全体がたがいに支え合う複雑な運動へ、そして緻密で巧妙なスキルの修得へとより上位の中枢にひろがる多様なパターンが、脳の中でネットワークとして道筋としてかたちづくられていると考えられるのです。

 

ここで振り返ってみてみますと、周辺環境との関わりにおいてランダムなやりかたから最適なパターンが選びだされる神経系の仕組みについて、やはり不思議に思ってしまうのです。

神経系の不思議 3
世界に対して肉体として埋め込まれながらも、重力に抗して発達し続ける乳幼児
 
新生児は、最初はただ手足をばたつかせるだけなのですが、生後半年もすると寝返りをうつようになります。そして両手で身体を支えて反り返りハイハイを始め、系統発生的に受け継いだ動物としての原型を越えて、人間としての二足起立歩行へと進んでゆきます。支えがあってようやく立つことができるようになった幼児が歩行へと進む段階で、からだの不安定性は揺れとして体感され、一歩足がでないまましばらくその場にすくんだままにいます。このとき幼児の身体は環境との交渉が行われているのです。環境と身体の交渉において未発達な神経系は戸惑い、葛藤に揺れ動いています。しかしそれは自然なこととして、やったりやめたりの反復を通して落ち着くべき流れを見いだそうとする交渉がその後もなにかにつけて続いてゆくのです。
 
環境と身体、その間にあり両者を介在しているものは何かとなると、それは神経系ということになります。環境と身体の交渉を受け持ち、落ち着くべきところに収束させ状況に即した動きを導くはたらきが神経系ということになります。膨大な数のニューロンが天文学的な数のシナプスをなし、重層的な神経ネットワークを形成します。そのような神経網のなかでネットワークが形成されるための環境と身体の交渉があるのです。

揺れ動く変動の中で歩行にいたるまでの間が、なにか戸惑うためらいのようにも見えてきます。なんども不安定性を乗り越えて一歩、二歩と踏み出す姿に、重力に対抗しながらバランスをはかり、新たな一歩を踏み出そうとする神経系と環境との相互作用がおこなわれているのです。こうしたプロセスにはいろいろと揺れ動く神経活動があるのでしょう。
 
「歩けるようになるとはどういうことか」(特集「発達とは何か」現代思想、11.1997)で、著者のエスター・テレン&リンダ・スミスは、脚をバネ仕掛けの振動子にみたて、両脚の屈曲/伸展の動きで振動する様(キックの軌道やリズミカルな周期、運動の位相転換)をさまざまな状況で調べています。バネの運動はその固さや重りに依存し振動を繰り返します。さまざまなリズムの歩行サイクルが生まれるのです。神経筋の組織はバネに似た性質を示し、エネルギーが与えられたとき、滑らかな軌道へと自己組織化する様子をダイナミックにあらわしています。
 
自己組織化するということは、そこに新たな統一された秩序が創発するということです。身体の動きを司る神経系に突如として現れる新たな活動パターン、これは環境との相互作用から協働して生じる即興的なはたらきということになります。そしてそれに関与する神経ネットワークはさまざまな階層レベルに渡った多層的なネットワークということになりますが、このネットワークに参加するすべてのニューロンは、そのために同期した協働作業(活動)をおこなうことになります。神経系全体に分散し複雑に錯綜した無数のニューロンが、状況に即した即興的な行為のために統一されて活動するパターンが創発するという不可思議さがつきまといます。
 
ネットワークを構成する各ニューロンが協働して相互作用するこの種の神経系の活動は、局所的にも脳全体をとってみても起きています。状況に即して現れる協働的な相互作用は、絶えず消滅しては創発する大きなネットワークから起きています。そのなかで、全体のなかの一つの構成要素となる個々のニューロンは、一緒にネットワークを形成する他の多くのニューロンとの関係の中でその役割が決まり、また全体のネットワークはその中のニューロンを協調させるよう働いていることになります。このように、局所から全体のシステムにいたるまで、いわば全体と部分が協調した活動が状況に即して現れては消えているのです。すなわち、ダイナミックに自己組織化しているのです。

歎亰呂亮己組織化は単純な回路から複雑で重層のネットワークにいたるまで、個体発生の尺度ではかれば、ほんの短い時間から数日、数ヶ月あるいは年単位で起きてゆくのでしょう。発達初期の知識はすべて、ある状況の流れの中で起きた、知覚と行為の同時的相互作用を通してできあがることを示しています。子供は環境と触れ合いながら自己の秩序を構築してゆくのです。

発達初期の知識はすべて、ある状況の流れの中で起きた、知覚と行為の同時的相互作用を通してできあがるのです。(エスター・テレンTherenとリンダ・スミスSmith)


 
Dr. Carrickの機能神経学 

自分のPCで、オンライン・ストリーミングで受講しました。
 
金土日と三日間25時間にわったセミナーでした。
こうして受講するのもたいへんですが、とにかくDr. Carrickのパワーのすごさには圧倒されます。
 
どの分野をとっても米国の圧倒的なパワーには敵わないことが、身近なところから実感させられるところです。
天才的な能力、パワー、そして資金力と、とても比較にならない違いがあります。
 
Dr. Carrickが講義をしているアトランタとは時差が14時間ありますので、日本では深夜11時から翌朝7時まで、徹夜で聴いていなければなりません。時差の計算をどう間違えたのか、金曜の夜から始まる講義を聞き逃してしまったので、徹夜は二日間ですみました。昼の時間に途中、睡眠を多少とれましたのでなんとか二日間PCの前に座っていられました。
 
日曜の最後の講義は延々と続き、どこで休憩を入れてくるのかなと思っているうちに朝方になってきました。こうなると頭がついてゆけません。もうろうとしているうちに、気がつくと今回の講義のまとめを一気に話し始めています。結局、今回の講義は難解であるうえに、まともに聴き取ることもできず、とても高くついたセミナーでした。もっとも、わざわざ米国に行かずにすんでいますので、とてもありがたいことなのですが。
 
さて講義の内容ですが、一言で言いますと、眼球運動を制御するさまざまな神経機構についてとなります。Dr. Carrickの解説は最新の情報を含むテキスト形式だけには留まりません。脳震盪など傷害受けた患者さんたちの臨床の現場で、実際にみられる問題について、その背景にある神経ネットワークの障害を想定しての解説ですから、どのテキストを探してみても知ることができない内容を含んでいます。やはりそれなりの受講料になっているわけです。
 
どうあがいても完全に理解することなんてできそうにないのですが、なにか悔しさだけが残ってしまいました。英語を母国語とするアメリカ人達がうらやましくも感じられました。

 
今回の講義を通して、とくに印象的に覚えたのは、彼が最初に提起したヘミスフェリシティ(大脳皮質の機能低下)がすでに古いものになっていることでした。
私自身も彼のヘミスフェリシティのコンセプトがうまく臨床で合致するようなケースはあまりにも少ないことに疑問を感じていたのですが、やはりそうでした。Dr. Carrick自身が今回語ったように、単純ではないということです。
 
階層的に複雑に絡みあう神経機構を、眼球運動に関わる制御機構のネットワークを例にとってみても、すべてが並立的/分散的に協調しあって機能しているわけです。
 
そんな複雑な神経機構においてどこが機能的におかしいかと探るようなことは、普通、お医者さんはやらないでしょう。画像診断で形態的な異常がなければ、それで、患者さんがどんな症状を訴えていても取りあおうとはしないわけです。
 
Dr. Carrickのすごいところは、眼球のちょっとした動きの異常に基づいて、どのレベルで障害があるかを探ってゆくのです。そして健全なはたらきが残っているかすかな糸口を見逃さず、そこから機能を補完回復させようとするのです。一見、驚くような症状であっても、それが改善してゆくことがなんとも驚異的であり、しかも感動的でもあります。
 
やっぱり、Dr. Carrickはものすごい先生だ!
とは言っても、彼のご偉功をかざして機能神経学を売りものにするようなことはしたくはありません。
なんだかんだ理屈をこねても、施術するのはDr. Carrickではなく、自分の才覚とみずからの手なわけですから。

 
“機能神経学で治療をおこなっています”とうたって宣伝に使うことは、まっとうな先生とは言い難いところです。Dr. Carrickみずからが、機能神経学をどんどん変貌させていっています。たとえマスコミから大きく取り扱われたとしても、医療としての認知はまだまだ先のことでもあります。Dr. Carrickは、大学病院並みの大きな施設をアトランタとダラスに開所し、エビデンスをつくりあげようとデーターを集積しています。聴講生にも同じような治療ができるようになってデーターを提供するように協力を求めていました。学術的に通用する論文がこれからどんどん報告されてくることでしょう。
 
ひるがえって自分の足元をみてみますと、自分のできるところから一歩一歩進んでゆくだけです。
彼の姿が遠くに見えなくなったとき、こうしてまた彼の講義を聴くことで、新たな刺激を受けることができるのはありがたいことです。
 
大事なことは、患者さんの身体/症状が投げかけてくる問題に対してみずからが解明しようとするアクティブなとりくみ方であると、今回の講義から強く印象づけられました。
日々の臨床で、疑問/問題にどう向き合うかで、彼の講義の理解がまったく違ったものになってしまう気がするのです。今回の刺激を受けて、今やるべきテーマが眼前にひろがってゆきます。

 
Dr. Carrickのオンライン・ストリーミングから
眼球の動きと頭の動き その1
 
頭には眼や耳それに口というように特殊な感覚器が備わっていますので、頭の動きはそうしたモダリティの特殊感覚に役立つはたらきをしているとみることができます。
そこでまず眼と頭の関係を考えてみました。

これは今この何ヶ月かDr. Carrickのオンラインでの講義に強く啓発されてのことです。それにしても、日頃、Dr. Carrickはこんなことまで詳細に深く考えているのかと驚かされる内容でした。
 
頭と首は左右前後に大きく動くことができますが、眼は眼窩の中にあってその動きは限られています。それでも眼は遠い視野で見ればかなり広い範囲を、頭を動かすことなくカバーしていることに気がつきます。こうしてPCの画面を見ているときのように近い視野では、眼前の数十度の範囲しか見えていません。このように、正確に細かく見えている範囲となると眼前のきわめて狭い範囲です。正確に識別できるのは網膜の小さなくぼみである中心窩に結像しなければならないからです。見ている対象が動いてこの中心窩から像が外れるようになると、眼は像を補足し続けるように反射的に動いています(視運動性反射)。この視運動性反射が正確にはたらくためには、頭が動かずに静止しているときとか、眼と頭が一緒に動いているときです。

私たちは歩いているときとかには絶えず頭が揺れ動いています。頭が動いているときに標的(視標)を正確に射貫くためには、頭の動きをキャンセルするように眼が反対方向に動く必要があります。これも反射的におこなわれている眼球運動のしくみで、前庭動眼反射(VOR)と呼ばれています。
 
動いている視標を眼と頭の動きでとらえているときの動きを記録すると、頭の動きが滑らかに大きくゆったりと動く波形を描いているのに対して、眼球は細かく速く揺れ動くのが観察されます。眼と頭の動きはたがいに協働して、どんなに速く動く小さな対象でも正確に追いかけています。飛んでくるミサイルをとらえて射貫くようなきわめて精巧なしくみが神経系に備わっているのです。
 
激しい衝突から脳震盪を起こしたケースでは、この眼球の動きはきわめて不規則で異常な動きを示すことになります。スポーツ競技の選手にとっては、正確な動体視力を失うことは選手生命にとって致命的な欠陥となりえます。
 
Dr. Carrickは、プレイ中に頭部に激しい衝撃を受け選手生命が絶望視されていたカナダのアイスホッケーの選手シドニー・クロスビー選手を劇的に回復させ、このことが全米で大きく報道されました。私はあまりこうしたニュースに疎かったのですが、先月、ソチのオリンピック競技のアイスホッケーの優勝決定戦が放映されているのを観て、いかにシドニー・クロスビーという選手がいかにすごい選手かを知ることができました。NHKのアナウンサーと解説者は、彼がリンクに登場するたびに他の選手のことはさておき、彼の一挙一動に声高に注目していたのです。こうした世界が注目する英雄的な選手の競技生命を救ったのですから、いかにDr. Carrickがすごいか、思い知らされたしだいでした。
 
講義は毎月、週末の三日間続いていますが、会場に100人ほどの聴講生でしょうか、そのほかにこうしてインターネットを通じてオンラインで受講している聴講生がカナダ、ヨーロッパなどで多数の先生が視聴しています。私もその一人ですが日本では今のところ私だけでしょうか。アメリカでは池田奨先生や吉沢公二先生が聴講されています。
今回、Hi, from Japanと書き込んだチャットに、
Dr. Carrickが「おはようございます。Hiroshi」とチャットに書き込んでくれたのには驚きました。どんなに小さなところにも眼を向けている彼の心遣いに感激でした。
 
Dr. Carrickのオンライン講義から その2
眼と頭の動き その2
先回のブログは脱線してしまいましたので、また眼と頭の動きの関係に戻ります。
 
歩行中は片足ごとに少なからず頭が側方に揺れますので、眼球のVOR(前庭眼反射)そのたびに引き起こされています。眼をまっすぐに、進行方向に反射的に向けさせています。ビデオカメラで撮られた画像が左右に揺れるように不用意なことは起こらないわけです。
 
網膜上の視標の動きが検出されると、これに眼球が眼窩内で動いている動きを加算し、実際に動いている視標の動きを推測していると考えられています。眼が頭の動きと別の速度で動いたときにその誤差が加算されます。こうして予測された信号で追跡眼球運動が駆動されていると考えられています。また、前頭眼野が追跡眼球運動のゲイン制御に関与していることが示唆されています。小脳も追跡眼球運動の制御に重要な役割を果たしています。小脳片葉・傍片葉、小脳虫部(背側)が追跡眼球運動の発現に関係しています。
 
一般に、入力と出力の比率をゲイン(利得)と定義していますが、前庭眼反射(VOR)では、頭部運動時に「眼球速度/頭部速度」で定義されます。眼と頭の動きの速さが同じなとき、眼は眼窩の中央にあり安定した視覚となりえます。このときVORのゲインは1だというのです。しかし動いているものを見ているときの状況に応じて眼と頭が別の動きとなるとゲインは減衰するらしいのですが・・・。これは中枢からのゲイン調節ということなのでしょうか、それともVORの反応性の調節とみたほうが正しいのでしょうか。
 
動いている視標を見ているとき、頭の動きが遅いとその代わりに眼の動きは速くなるはずです。しかしあまり眼の動きが速くなるような状況では中心窩から像が外れてしまいますので、中央に戻る衝動的な眼球の動き(サッケード)が生じてしまいます。眼と頭の動きがうまく協調されるように中枢が調節していることが考えられます。どのように?となると、さらに疑問がさらにわいてきます。
 
さて、VORのゲインがうまく調整されているかどうかで、追跡眼球運動に関わる複雑な神経ネットワークに障害があるかないかが分かるというのがDr. Carrickが話している一つの要点だった(?)ようですが、そのために眼と頭を同時に動かしながら視標を追跡させることでその異常が検出されることを話していたようです。
 
眼と頭が動く視標を追跡するときのことを分かりやすく考えてみますと、たとえば、走っている車を眼と頭を一緒に動かしてフォローしてみることをやってみます。途中から頭の動きが止まるように、手を頬近くにあらかじめ置いておきます。頭の動きが止められても眼は自然と車を追いかけることができるはずです。これがスムーズにうまくできないとなると問題なわけです。あくまでもラフなスケッチですが。
 
アイスホッケーのシドニー・クリスビー選手は、まさにこうした眼と頭の協調が損なわれていたのでしょう。ビデオ式眼振計測装置VOGシステムと頭の動き記録する装置を取り付けて、Dr. Carrickは解析をおこなったようです。
 
講義では、ビデオ式眼振計測装置VOGシステムで検出されるさまざまな眼球の異常な動きが、治療が進むうちに、ギザギザな微妙な波形が消えて、滑らかに視標を追う波形に変わってゆくのを見て、科学的に実証できる医療に変貌しつつあることを実感させられました。その意味でも、カイロプラクティック界に果たしているDr. Carrickの功績は偉大です。
 
眼球の動きと頭の動き その3
耳石眼反射

頸のうえに載った頭にとって頭頸部の筋の活動は、特殊な感覚器を備えた頭の安定にとって重要です。
 
眼と頭のダイナミックな関係を考えてゆく上で、眼の動きは多分に予測的な信号によって制御されていると考えることがまず前提になるでしょう。眼は反射的な機構に支配されているだけでなく、注意を払うという随意的なはたらきにも応じています。
 
随意的に視標に眼と頭を向けるとき、反射的なVORは抑制されなければならないはずです。前庭動眼反射のゲイン調節には小脳片葉・傍片葉(片葉領域)が重要な役割を果たすことが知られているというのですが、なかなかそのしくみを記述したものがみつかりません。
 
眼球の予測的な活動ために不可欠なのは、まず自分の頭が周囲の環境とどのような関係で位置しているかです。脳は周囲の空間を正しく把握する必要がありますが、視覚だけですとビデオカメラのように傾けたときには画像も傾いてしまい、正しく空間的な位置関係を把握することはできません。幸い、私たちは重力場で生活していますので、常に天地は不変です。これを基準に空間座標系が設定されますので、頭が傾いても画像は重力線に沿って調整されます。したがって、重力のセンサーとなっている耳石器はきわめて重要な役割を果たしていることになります。その上で、小脳から前頭葉へともたらされるフィードフォワード信号が眼球を視標の動きを予測しながら正しい方向へ走らすことができます。フィードフォワード信号に必要な情報として、小脳には常にフィードバック信号が固有感覚系から入ってきます。それに頭の動きをモニターしている前庭系からの入力もあります。こうしたフィードバック信号を参照にして、学習された適切な運動パターンがフィードフォワード信号として前頭葉へ送り出されるのでしょう。このような過程にもかなり複雑なしくみが関わっているであろうことが想像できます。
 
前庭眼反射の異常を何らかの方法で検知することで脳幹レベルでの障害を見つけることができるわけで、三半規管と眼球の動きに関わる詳細な記述はいろいろとみることができます。ところが前庭系の耳石器と眼の動きについとなりますと、まったくテキストに記述がありません。この点についてDr. Carrickは講義の中で説明していたのですが、とても早口で話されたのでほとんど聴き取れませんでした。ただなんとか聴き取れたのは、三半規管と耳石器は協働して頭の動く方向と反対に眼球を反射的に動かすということでした。詳しいことが分からないのでネットで調べてみますと、かろうじていくつかのotolith–ocular responses(耳石眼反応)についての研究論文で探すことができました。
 
日本語で書かれた情報がないかどうかまず調べてみますと、吉田薫先生(筑波大学医学系)、和田佳郎先生(和歌山医大)という方々が耳石眼反射について研究をなさっているようです。耳石眼反射をみるために、off-vertical-axis rotation(垂直軸から外れた回転)という、被験者を垂直位で回転椅子に固定しその椅子を傾けて回転させる研究法を紹介しています。この方法で重力を被験者にとっての矢状面方向と冠状面方向の二つのベクトルに分けることができます。この二つの方向で眼球の揺動を見ることができるようですが、研究方法だけで詳細は知ることができませんでした。
Med Lineで海外の文献を探してみますと、下記の無料の論文を見ることができました。
Dimitri Anastasopoulos,「Smooth pursuit eye movements and otolith–ocular responses are differently impaired in cerebellar ataxia, Dimitri Anastasopoulos」 Brain (1998)
この論文の中で、真っ暗にした暗視状態で垂直軸偏倚回転によって誘発される眼振は二種の動きから構成されていると書かれているようです。一つは半規管の有毛細胞の刺激による反応で指数関数的に減衰してゆく速度変化の揺動波です。そして二つ目は、垂直方向での眼球速度のmodulation(変調波)と耳石器の刺激から生じるoffset(相殺?)が見られるという報告です。半規管の有毛細胞による減衰的な活動とは異なり、重力の作用によるoffsetは椅子の回転の間ずっと続くとあります。
 
Offsetという表現の意味するところが分かりません。頭の移動による眼球運動の偏差という意味でしょうか。
 
これに関連して、ほかに論文が一つだけありました。有料です。もし見ても分からないような論文であればお金の無駄ですので迷いましたが、このままではDr. Carrickの講義も無駄になってしまいかねません。その論文を購入してみました。
C. Tilikete,「Otolith dysfunction in skew deviation after brain stem lesions」Journal of Vestibular Research (2000)
幸い、結構わかりやすい解説から始まっているのですが・・・。
「VORは網膜に投写される視覚的なイメージを安定してとらえておくために、眼球の動きを補正するためにあり、半規管由来の補正と、耳石器に由来する(頭の移動にともなう)線形的な補正がある・・・耳石器に由来する耳石眼球反射は、頭を傾けたときの眼球のskew deviationであり・・・」と続きます。skew deviationとは、頭が傾いたときにその傾きを補正しようとする両眼の回旋的偏向です。左右の眼球が、前後軸で内旋と外旋がペアになっています。
 
しかし、垂直軸偏倚回転によって誘発される眼振についての説明となると、やはり意味がわかりません。この論文では別にバイアスbiasという表現をしているようでもあります。
そこで、眼球の動き(速度変化)を記録した図を見ますと、正常者(コントロール)では椅子の回転に対して補正的(modulation)に反対方向に動きを見せる波形と、小さく小刻みに振動する波形が見られます。
 
どうも椅子の回転的な動きに対して補正的な波形と、そうでない小刻みな振動の波形のことを言っているのではないかと思えてきました、どうなんでしょうか・・・
 
さて後者の論文の目的は、脳幹に障害があったときの波形の特徴を報告しています。
脳幹の下部に障害のある患者グループでは、椅子の回転に対応する波形が見られ、回転方向に対抗するようなAnticompensatoryの眼振が、障害サイドに回転させられたときに見られるとあります。バイアスは見られないとあります。このグループでは垂直方向の主観的な感覚が著しく損なわれているとあります。
脳幹の上部に障害のある患者グループでは、障害サイドから離れる回転方向で垂直方向と水平方向のmodulationが見られ、主に下方を向く眼球hypotropic eyeに下方へのoffsetが見られるとあります。
下方を向いた眼球というのは、上下に傾く左右の眼球skew deviationがあるからでしょう。
 
 このようにいろいろと調べてみますと、Dr. Carrickが話している内容は最先端研究のその先にあることを臨床に活用して実績を積んでいることに驚かされてしまいます。彼の講義をすべて聴いて理解しないことには、とても臨床に活用できるところまでには到達できないように思えてきます。

Dr. Carrickが話されていることが今朝ようやくなんとなくみえたような・・・
Gravity system(重力系)がwhere you are(身体の三次元的な状態)を知らせますが、その身体(頭位)の動きの反対方向に眼球を向かわせる。それができるのはバイアスがあるからだというのです。

このバイアスというのは細かな振動のようです。どの方向にでも動けるように自由度のある揺らぎなのでしょう。一方の三半規管の作用としてはvelocity storage mechanismがありますから、眼球運動の切りかえはon-offというようにはいきません。その点、耳石器は常に空間的にどのように位置しているかを瞬間瞬間伝えていて、頭の位置変化に応じて速やかに眼の向きを反対方向へと切り換えができるようにしている・・・というようなことを話しているようでした。

Dr. Carrickが話している内容のほんの一部なのですが、なんとなく分かったような気がしてきました。
本当は全体の10%も分かっていないのでしょうが