Manual Medicine 大場 弘 Blog 

マニュアルメディスン(徒手医学療法)は全身をトータルに捉え身体の連関性を追求する医学です。
ここではマニュアルメディスンによる治療法や、症例などをご紹介していきたいと思います。

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9月と10月の研修会ご案内
マニュアルメディスン研修会のご案内 9月の研修会は、祝日23日に日本リハビリテーション専門学校でおこないます。症例検討会と小セミナーです。 10月は、15(夜)/16日に神戸でおこないます。簡単にできる脳機能検査を通して、脳と身体のはたらきをみてゆきます。 詳しくはマニュアルメディスンのHPをご覧ください。 http://www.manual-medicine-jp.org/
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研修会のお知らせです
 名古屋と東京で、通年で神経学の連続講座を開催しようと思っています。

神経系をネットワークでとらえ、機能的なところから臨床に役立つことを主眼に進めようと考えています。
興味のある方は、マニュアルメディスンのホームページでご覧ください。
http://www.manual-medicine-jp.org/


このところブログの記事を書けずにいますが、落ち着きましたら投稿いたします。
今回は、お知らせということで
 

なにげなくニュースを観ていましたら、俳優の渡辺謙さんがダボス会議でスピーチをおこなっている画面が流れていました。ダボス会議とは世界経済フォーラムの年次総会ということらしいのですが、各国の政府首脳、企業トップ、学識経験者、文化人、ジャーナリストらが集まり、地球規模のさまざまな課題について議論し合う会議だそうです。

 ゲストに招かれた渡辺謙さんが『絆』という意味について語っていました。漢字では『糸が半分』と書き、みんなそれぞれが半分の糸をもっている。半分の糸がどこかの誰かとつながって絆となる、と語っていたかと思います。

 

考えてみれば不思議なものです。

遺伝情報をもつ糸、染色体と呼びますが、人は父親と母親から半分ずつ2323の染色体を受け継いでいます。こうして父親と母親の絆から子供が生まれてくるわけです。

 

絆とは二つの糸の端が寄り添ってはじめて絆になるということなのでしょう。『人』という漢字も、二つの糸が寄り添い、支え合って人となっているとみることができます。漢字とはおもしろいものですね。

 

渡辺謙さんの東日本大震災に言及したスピーチが頭のどこかに残ったのでしょうか、明け方、学生時代の友を思い出すような夢をみていました。友を求める心情があったのかもしれません。夢の余韻にひたっていましたら、漂うような寂寥感がありました。心の深いところに宿る寂寥感のようにも思えました。御魂の寂寥感をも連想してしまいました。

 

 

一昨年、日本カイロプラクティック徒手医学会でのワークショップに招かれた仙台の本多先生が、自分自身を紹介するときに「日本一、患者を治せない治療家です」と語り始め、笑いを誘っていました。

“なんとか治したい”とやっきになっている治療家も少なくないなかで、治す治せないにかかわらずに患者さんに接することができる本多先生の境地に、うらやましくも複雑な思いでしたが、震災の被災者のみなさんに「寄り添う絆」を大切にしている姿にようやくその真意が伝わってきています。

治療家の心の裡としては、それなりの結果を患者さんに求められてしまう辛さも消しがたいものです。言葉だけで慰め癒すというわけにはいかないところがあります。寄り添う絆が、なにか大きな転換をもたらしてくれることを信じたいものです。

諸葛亮孔明に想いを馳せて
 

夢中になって最後まで観てしまった三国志のドラマ

 

壮大な中国の歴史のなかで群雄割拠する争乱の時代、諸葛亮孔明を中心にした三国の国家間の非情なまでの駈け引きに、国のあり方について痛感させるものがありました。

今の情報社会の時代、諸葛亮孔明のような稀代の戦略家であれば情報を駆使し、戦わずして国を内部から崩壊させることもできることでしょう。

 

衆院議員の公務用パソコンや衆院内のサーバーがサイバー攻撃を受け、衆院のネットワーク利用者のIDとパスワードが盗まれていたことが明らかになったのは最近のことでした。それでもすぐにパスワードを変更せずにいた議員が過半数にものぼったというニュースには驚きました。危機管理の欠如なにものでもないでしょう。

国民も国会議員も政府も、国を守る意識がきわめて薄くなっています。一昨年の中国漁船体当たり事件から尖閣諸島をめぐる政府の対応に、驚きと悲嘆を感じた人は少なくなかったでしょう。国家の主権と尊厳を政権がみずから投げだしているような印象さえ持ってしまいます。
中国は国内の噴出する不満をそらすためにいざこざを起こすことが続いていました。日本国として断固とした態度を示すべきです。アジアの諸国の全体の安全保障を考えても、日本の果たすべき役割は大きかったはずです。どうも目の前の都合から、守られるべき国の正義があやふやにされているような気がするのです。

 

国際的なグローバル化は国家間の経済的な結びつきを強くしていますので、無謀な大戦にいたることはまずないにせよ、これからもいろいろな衝突が起きることは避けられません。国のリーダーは、平和を得るためには戦争に備える覚悟も必要なことです。

最善の方法に「戦わずして勝つ」という古来の基本戦略があるわけです。武士は敵に刀を抜かせないハラの据わった威圧感をつくりだすことができるかどうかにかかっていました。国のリーダーや国民の代表である議員は確固たる覚悟を持って然るべきです。

 

アメリカや中国との関係、それに朝鮮半島情勢、東南アジアの国々など、周辺諸国との関係や国際情勢について、諸葛亮孔明ならばどのように将来にわたって分析し、大きな戦略を描くだろうかと夢想してしまうのですが、私の頭のなかは暗闇です。

諸葛亮孔明は天文から地政学、易学、科学的な現象、歴史などあらゆる分野に精通する頭脳を持っていたようです。彼のような千年に一度の逸材を望みようもありませんし時代も時代です。それでも彼の思考方法から何か学ぶことがあればと観ていました。

 

私がこのドラマを観て感じたことは、諸葛亮孔明の人間の心理に対する深い洞察力です。敵将の心理状態はもちろんのこと、取り巻き達の状況を把握し、何を狙ってどのような行動に出てくるか予測する能力です。そのためにこれまでの行動パターンを知り、敵将の本性を見抜いているところにあります。理性はその人の本質的な本性を包み隠してしまいますので、彼はわざと敵将を怒らすような言動や謀で、心のうちを激しく揺さぶることで衝動的な行動をとらせることもやってしまうのです。

こうしてみてみますと、中国が日本にいざこざを起こしてくるのは、日本の政権の本質を暴くことにもなっていたわけです。数千年のあいだ興亡をくりかえしてきた中国ならではの謀に、赤子のように反応してしまう日本政府のあたふたぶりは報道で見たとおりでした。

 

北朝鮮も大きな転換期を迎え核がきわめて深刻な問題ですが、新たな指導者達の本質を見極め賢明な外交を展開してもらいたいものです。

憂いは気分
 

新年を迎え、心機一転、新たな志でスタートを切りたいところですが・・・、

未曾有の大震災の後、憂いという気分はなかなか払拭できずにいます。

 

これまで過剰なほどに物に恵まれ、消費生活に明け暮れたライフスタイルが、劇的に変化しつつあります。考えてみますと、こうした近年の急激な変化は、情報処理のテクノロジーであるITの登場により推し進められてきた感があります。

 

IT(情報技術)の登場は私たちの生活に豊かさをもたらしてくれたのでしょうか。確かに言えることは、国際社会の劇的な変化をもたらすにいたっているということでしょう。

 

パーソナル・コンピュータなるものを、私が最初に目にしたのは大学生のときですから、数十年前です。その当時はカセットテープのようなものにベーシックで書き込んでいる状況でした。ちまたには日本語版のタイプライターとして、ワープロというかたちで一気に広まっていったわけです。その後、金融や経済などの世界では高度な情報処理の技術が進んでいたわけですが、阪神大震災のときにインターネットが大きな役割を果たすことになり一躍脚光を浴びるにいたったわけです。

私自身、PCとインターネットのおかげで、図書館に出かけることもなくこの場にして、さまざまな調べものができてしまう恩恵に授かっています。それでも私は携帯電話cell phoneは嫌いです。外では公衆電話を探すのにたいへん苦労しているのですが。

 

世界中を駆け回る情報、インターネットが国際社会のグローバル化を一気にもたらしたように思えます。それに金融資本主義経済のグローバル化により、先のリーマンショックはもちろんのこと、ギリシアから始まった一国の経済的な危機がヨーロッパ全体に広がり、それが全世界に波及しようとしているわけです。

経済のグローバル化は、それぞれの国の政治や行政の枠組みを超えて深く浸透し、日本という国のあり方が大きく揺さぶられているようにみえます。

 

肥大化してゆく官僚組織、地方の議会から国会まで機能していない議員の数に今日の政治の姿をみることができます。政治の世界をみていますと、こうした情勢を分析し国家戦略を描くことができる指導者が不在であることが、私たちの将来を不安にさせています。

 

千年に一度の俊傑と謂われた臥龍こと諸葛孔明、彼のような逸材が現れれば、国家戦略を描くことができるのかもと、DVD「三国志」に夢中になって観ておりました。

このお正月にようやく48巻ものDVDを見終えて、なにかしら国のことを想い患った休日でした。

脳と自律神経系 2 
 

昨日と今朝と、ある舞台で活躍する方を施術する機会を得ました。

前にも東京で公演があるときに施術をさせてもらっていたのですが、今回は体調がすぐれずなんとか時間をつくって来られました。

体温が上がらず、お腹(胃腸)も動かないので消化にも変調をきたしているとのことでした。お腹に力が入らないためか、舞台で急に腰の力が抜けそうになり、これば危ないギックリ腰になるということでやって来られたのです。

 

身体に触れて診ますと、右臀部周辺の筋の張りはビシッとしているのですが、左側は弛緩しているアンバランスがあります。右大腿を中心に筋緊張バランスが微妙に整っていないため股関節や膝に負担がかかっています。

身体の内圧変動も乏しく、全体としての活動性がかなり重く沈んでいます。ひょっとして甲状腺機能が落ちているのかともふと思ってしまうほどです。当然のことながら胃腸などの内臓的な平滑筋の活動性がかなり落ちていました。

 

一日目はとにかく身体が内部から動き出すように努め、身体のバランスを整え、呼吸が真ん中に通るようにすることで精一杯でした。翌朝になんとか時間をつくってもらい来てもらいました。二日目、けっこう身体のバランスが良くなっていますが、右側で第一肋骨が胸骨と関節をなすところを中心に吸気的な動きがかなり沈んだままです。施術中、息苦しさを感じていたに違いありません。ストレスが胸にきている感じです。しかも第一肋骨の動きがこのように沈んでいては、右頭部から右胸部のリンパの流れはもちろん静脈の還流も滞っているのかも知れません。このことは右脳のはたらきと相関しているのでしょう。案の定、右脳とくに前頭部の動きがすっきりしていませんでした。

なんとか正中に呼吸を通すことをやり施術を終えました。プレッシャーなんでしょうかね、と話の糸口を向けてみました。プレッシャーとかはまったくなく、このところずっとストレスが猛烈にかかっている状況で、伝統的にトップの気概を受け継いでいる以上、倒れることもできない分、こうして身体に疲労が蓄積しているのだろうとのことでした。

 

 

私たちはだれでも、困難な状況にあい過剰な精神的ストレスを受けますと、さまざまな内臓器官が大きく影響を受けとめています。激しく叱られた子供が腹から吐き出すように泣いたりするのを見ますと、腸管がギュッと縮み上がっているのが想像できます。大人であれば、心臓周辺の胸のうちに、人知らず悩みを抱えていることも少なくありません。

このように、心と身体は切っても切れない関係にあることはだれでも感じていることです。困難な状況におかれたときや精神的なストレスが重く覆い被さったときには、胃腸の平滑筋が収縮し活動性・律動性を失い、内臓の血管にある平滑筋も緊張にみまわれているのです。


そして心と身体のあいだに脳のはたらきが介在していることなのです。脳はホルモンや自律神経系によって、身体すなわち内臓臓器にも大きな影響をおよぼすのです。視床下部からのホルモンが、腸の活動性を高め下痢をも引き起こすこともあるでしょう。また消化酵素の分泌に影響することになれば、未消化のタンパク質分子が吸収されてしまうことで、それが免疫システムに異物と認識されアレルギーを引き起こすこともあると言われています。

 

ストレスによって脳が受けた異常な活動、脳全体に波及する異常な波動あるいはノイズと言っていいのかも知れませんが、それは身体内部の律動性に大きく影響します。自律神経中枢の活動性をも乱すことにもなります。それは触感を通して、身体内部の原初的な呼吸リズムの喪失として知ることができるのです。この原初的な呼吸リズムはいわば副交感神経性のリズムといえますが、なんと交感神経の活動波の一つにこのリズム性が認められるのです。私が長年思ってきたことが、ある論文で科学的に示されていることを知ったときには、これだ!と興奮したことがあります。ちなみに下記の論文です。Medlineで入手できます。

Circulation. 2000 Feb 29;101(8):886-92.

Oscillatory patterns in sympathetic neural discharge and cardiovascular variables during orthostatic stimulus.

これを基に、私たちが扱ういろんな不定愁訴を理解することができるでしょう。

 


私たちの人生という舞台ではだれもが主役です。そして主役を支えてくれる大勢の人達がまわりにいます。主役として思う存分に自らのうちにあるものを表現することがだいじです。宇宙の中心を自分自身の正中に通し、あとは虚心坦懐に演じてゆくことなんだろうなと、舞台で光り輝くトップスターを施術させてもらいながら思ったことでした。

脳と自律神経系
 

1223日におこなわれる講習会「脳と自律神経機能」の準備で追われています。


自律神経系の仕組みや機能など、基礎的なことはテキストに書かれていることですが、さらに脳との関わりを考えてゆきますと、大きな全体像から眺めてみる必要があるわけです。

 

いわば木々の彩りを見ることと、山の風景を全体として遠く眺めることがうまく絡み合ってゆくことで、頭の中にきちんとしたイメージと理解を得ることができます。

 

細かな基礎知識を全体的に構成してゆくことで、私たちの臨床に活かす知恵になるわけです。でもこれもなかなか簡単にはゆきません。とにかく、大雑把なイメージをつかんでみたいと思いまして、この文章を書き始めました。

 

自律神経系は、交感神経と副交感神経からなる、末梢神経の一部です。交感神経と副交感神経は、心臓や全身の血管はもちろんのこと、すべての内臓臓器のはたらきをコントロールしているわけですが、いわば車で言えばアクセルとブレーキの役割のようなものなのでしょう。たがいに拮抗するはたらきなのですが、うまく協調してはたらかないと状況に応じた適切なスピードにならないわけです。

 

皆さんご存じのように心臓の脈拍をみても明らかです。

それに、オシッコの出方はまさにその典型的な例でしょう。オシッコの出がわるかったり、切れがわるかったり、あるいは遺尿感が残ったりと自律神経系のバランス関係が如実に反映するのです。

 

こうして自律神経系をみてゆきますと、たとえば、過敏性腸症候群とか、逆流性食道炎とか、回盲弁症候群とか言われる消化器官の不定愁訴もまた、アクセルとブレーキがうまく協調しあっていないことから始まっているのではないかと、ふと疑問に思ってきました。

 

アクセルとブレーキの操作がなぜうまくいっていないのか・・・

脳がどのように関わっていることなのか?

身体の分節(脊髄)レベルで問題が起きているのか?

 

機能神経学的な考察は講習会でやることとして、ここでは私の感覚的なところから少し触れてみたいと思います。

たしかに内臓的に具合が悪いと、関連する脊髄の周辺で筋緊張バランスがわるく、身体が歪んでいます。たとえば咳がとまらないと訴えている人では、胸郭の上部で筋緊張により歪みが生じています。胃が具合悪い人なら体幹がよじれるような緊張バランスになっていることもあるでしょう。そうした緊張バランスの中で、どうしてもリリースできないところがあったりします。肩甲骨のあいだが重苦しいとか、肩や首が異常に凝ってつらいとか、身体が警告を発しているにも関わらず、脳はそれを解消できないでいるわけです。

 

徒手療法は、脳と身体が自ら解決できない問題を手助けする治療と言えるでしょう。

施術によって緊張をリリースできると、症状はずいぶんとすっきりしてしまうわけです。カイロプラクティックでは、歪んだ脊髄を中心に深部の筋緊張を瞬間的にリセットさせることが得意なわけですが、これも技術を要します。下手をすると組織を痛めてしまうことになります。もっと優しくリリースできないかとなりますと、オステオパシの施術方法がいろいろとあるわけです。私としてはとにかく理に適った方法を適宜使ってみたいのですが、とても分からないことがありすぎて、じっくりと触れて探ることが多くなってしまいます。

 

私の触感から言えることは、身体内部とくに内臓の平滑筋の活動性のアンバランスさが、体壁である身体の筋緊張にも反映しています。内臓の平滑筋の活動性、リズム性に変調をきたしています。
過敏性腸症候群とか、逆流性食道炎とか、回盲弁症候群とか言われる消化器官の不定愁訴で考えてみますと、胃や腸の活動と、それらの出入り口の括約筋のはたらきに変調をきたしているわけです。脊髄にはじまる交感神経と延髄にはじまる迷走神経の関係から見直す必要があります。

 

寝違いとかは、中脳とか大脳基底核といった脳の中枢が絡むところの頸筋の異常な緊張のような印象がありますが、腸管におけるなにかしらの変調は自律神経系の関係から始まっているような印象があるのです。
それでも脳からの影響がないとは言えません。やはり機能神経学からみた左脳と右脳のアンバランスさが背景にあるのでしょう。

 講習会でreviewしながら、もっと深く考察してみたいと思っています。



 

ハラ(丹田)に力を込める
 

横隔膜の動き

 

山本尚司先生に“強制呼気で横隔膜が下降する”と聞いてから、このことを思い続けてきましたが、偶然にもそれに関わる発見がありました。疑問を持ち続けていると不思議にもいろいろと発見があるものです。

うたうこと 発声器官の肉体的特質』(音楽の友社)に出会うことができたのです。この本は、もともと声楽家であったフースラーという方が医学博士になってまとめられた研究書とあります。本格的な専門書です。

 

緊張性呼吸調整と題して次のような引用があります。

「肺にたくさん空気を吸い込んだときには横隔膜の緊張は少なく、締まりのない横隔膜は胸郭内に引き込まれる。肺の空気が少ないときは横隔膜の筋緊張は大きく、横隔膜は比較的平らになって低い位置をとる。(Bucher 1952)46p

 

空気をいっぱい吸い込めば横隔膜は平坦になっているだろうという私たちの常識、これはレントゲン像でも確認されるところなのですが、これとはまったく異なる見解です。どうゆうことなのでしょうか?

これが正しければ、肺の中に空気が少なくとも横隔膜の緊張度は増すことができることになります。能の息の遣い方を理解するうえではなるほどとも思えるのですが・・・。

横隔膜が下降することと別に、ベースとなる横隔膜の緊張状態があるということかもしれません。これはまさに意識でコントロールできない自律的な緊張バランスにもなるわけです。

きっとこれはマッスル・トーンのことを言っているのでしょう。筋肉には絶えず緊張が生じています。そうでなければ肩は外れるし、歩くこともできなくなります。そうした緊張度は適切にセットされているわけです。横隔膜もそうしたマッスル・トーンがあって、適切な緊張度を保ち、深部腱反射にみられるような伸長反射が、胸郭の陰圧に対して対抗するということなのでしょう。

 

吸気と呼気の絶え間ない律動性のなかで、この生理的な緊張バランスは容易に乱れやすいと、『うたうこと』で指摘しています。ましてや誤ったイメージのもとで意識的に横隔膜を収縮させようとしたら、理に適わないことを強制して歌うことにもなります。

 

続いて、「呼吸の足場枠組み」と小見出しで、体幹筋の役割が強調されています。

声楽的発声における呼気の過程はきわめて精緻な運動過程であり、それが自由に営まれるためには何か足場となるようなものが整えられているというのです。
まさに、私が考えてきたようなことが指摘されているのです。運動のなかから獲得される体幹筋の適度な緊張があるというのです。背筋を伸ばし骨盤帯が後傾する方向の力の流れが描かれています。骨盤帯を後傾させ起立筋を緊張させてみると、内・外腹斜筋も収縮しているのがわかります。先回、木村功先生がコメントしてくれたところと共通性があるとも言えます。

ただ、能の場合には骨盤帯を前傾させて、かなりきつく腰を入れるかたちで下腹部に力を込めますので、オペラのような西洋的な声楽技法とは異なるところです。それぞれの技芸に特有の身体技法があって然るべきです。能の謡では、グッと腰を入れてハラ(丹田)を充実させていることを“根を張る”と表現しています。腸腰筋を緊張させているように思われるのです。

 

さらに、発声における呼気器官の運動について下記のように記述されています(47p)

「呼気の呼出は、歌唱にさいしては、胴体下部の内上方への運動によっておこなわれる・・・。先ず背面では、胸部背面から側腹まで及ぶ下部浅層の背筋による。・・・力強く下方から促進するという呼気のやり方によって、胸郭のかたさはとれ、呼吸器官は喉頭がつり下げられている筋肉網(舌筋や舌骨筋など)とよく協調する。話をしているときの筋肉網の使い方はこのとき解消される。この過程で、のどの中にはいわばゼロ点なる状態が生じる。声の練習や歌の練習はこの状態から始めるべきである。」

 

「さて、声を出さなければならないときには、この簡単な呼出の仕方では、息はかなり無駄に流されてしまう。それゆえに、それと同時に、呼気を調節する対応動作が加わる必要がある。」

 

まさに能の謡に通底する息の遣い方、ここでは呼気を調節する対応動作として、その仕組みを述べています。

「この対応動作は横隔膜の収縮によって起こる。横隔膜は歌唱呼気のときにも、その固有の傾向すなわち吸気傾向を捨てない。最初の呼出が短時間に行われてしまうことを抑制する。横隔膜はそのとき上行運動対応して、それに相応の度合で下方へ向かって抑える(この過程と同時に、声門は閉じ、声帯は伸びる)。」

 

声楽の大家A. Pitanの著書1866から引用し、脚注に次の記述があります。

「横隔膜が呼気のときも収縮し、呼気の力と吸気の力がある均衡を保ち、わずかの空気をわずかの圧力で送り出すことができるようになったときに、はじめて良い発声が可能になる。この呼吸技術によって、すぐれた歌手は、どんな音域の1音でも数音でも、3035秒のあいだ出し続けることができる。」

 

さらに横隔膜に関する記述が続きます。

「横隔膜はその周囲が胸郭の縁についているのだが、その中でもっとも強い筋組織は背部内面にある(横隔膜起始部)。この理由からだけでも、正しい歌唱にさいして、推進力の主体が下背部から起こることがわかる(偉大な歌手は背中で歌うのである)。横隔膜はそれ以外にまったく意識的な取り扱いはいらない。」  

 

「横隔膜は呼気のあとでまったく自動的に吸気と結びつく。それに対して全然注意を払う必要はなく、まったく意志の働きを必要としない。意志をはたらかすことはかえって、法則に適った調整の流れを乱すだけだ。効果的に十分に呼気をする方法を会得しないうちは、決して正しく吸気を行えるようにならないだろう。」

 

ここでやはり注目すべきは、横隔膜の自然の理です。それぞれの身体技法に左右されることのない自然な営みのありかたなのです。本来の生理的な活動そのものとも言えます。

注意を払うべきは背筋をピンと張り、胸腰部の張りをしっかり保つことと言えるでしょう。横隔膜の起始部に隣り合って上から交叉し、脚の付け根(大腿骨の小転子)へとのびている大腰筋のしっかりとした緊張保持もまた大切ということになります。このことで横隔膜の脚をしっかりと保持し根を張ることができるからです。

 

安定してゆったりとした姿勢にこそ、横隔膜のマッスル・トーンが適度な張りをもつことができます。それに骨盤隔膜のマッスル・トーンと相まって、下腹部(丹田)に力を込め維持することができるわけです。

呼吸にとらわれることなく自然のままに稽古に励むことで、より深く横隔膜のはたらきが生まれてゆくことだろうと思うわけです。

ハラに力を込める その2
 

普通に呼吸をしたときと、下腹部を膨らませて呼吸をしたときの、胸郭の拡張がどのように違ってくるか、実際に自分で試してみました。乳頭のラインと、剣状突起のねもとの部分で胸囲を測ってみたのです。

結果は、両者の拡張差はほとんど変わりがありませんでした。とくに下腹部を膨らませてみても、胸郭がとくべつ拡張するわけでもありませんでした。ともに、胸郭の中程(乳頭ラインの胸囲)は4cmの拡張があり、胸骨下部での拡張は1cmほどの拡張差がありました。

 

下腹部に息を詰めるようにおこなう呼吸も、普段の呼吸も、胸郭の拡張は同じようなものでした。

もちろん、大きく深呼吸すれば、それだけ胸郭も拡張するでしょうが、それは自然ではありません。

 

息をいっぱい吸ったからと言って、長く謡えるわけでもなく、むしろすぐに息が切れてしまうのです。

居合いでもそうです。息をいっぱいに吸い込んで演武しても、かえってうまくいきません。肩の力がうまく脱力できる程度の楽な呼吸で十分なのです。

 

武道でも、気功においても呼吸はとても大事なことなのですが、それに意識し過ぎると決して良くありません。とにかく自然のままに、身体の動くままに自然な呼吸にゆだねて稽古を続けてゆくことで、身についてゆく呼吸があるようです。

 

私の個人的な見解として、いわゆる呼吸法と称するさまざまなパターン化された呼吸鍛錬法が多くありますが、あまりにも意識的なやり方は自然本来の呼吸のあり方とはほど遠く、良くないように思えます。

 

さて、能の謡いでの息の遣い方、すなわち横隔膜を下降させ体腔(呼吸器官)の容量を大きくする息のつかい方についてこれまで考えてきたことなのですが、ここでも格段に大きく息を吸っているわけではないということになります。それでも下腹部にグッと力が込められてくるわけですから不思議なわけです。

 

私の下手な実験よりも何かきちんとした研究報告がないかどうかネット上で探してみました。

なんと公開されている論文があったのです。ありがたいことです。

茨城県立医療大学大学院、保健医療科学研究科の冨田和秀先生が、「Dynamic MRIを用いた正常な横隔膜運動の動的解析」と題した論文を、2004年に書かれています。

http://www.jstage.jst.go.jp/article/rika/19/3/237/_pdf/-char/ja/

これによりますと、安静時の呼吸において、横隔膜の平均移動距離は腹側で13.8±4.6mm、中央部で20.6±7.0mm、脊柱側で26.9mm±11.4とあります。横隔膜の下降は後ろ部分で大きくなっています。

 

背骨の前で横隔膜の下降距離が最も大きいことが分かりました。

ということは胸腰移行部の脊柱彎曲をグッとテンションをかけた姿勢が、さらに横隔膜の下降をさらに大きくする可能性があります。なぜなら「横隔膜の脚」と言われる筋の停止部分は腰椎部の前に付着しているからです。

 

骨盤が前傾するように腰を入れ、背筋を張り、顎を引いて頸をまっすぐに!
大きな岩を動かすように、ハラに力を込めて!

能の謡いを習っている山村庸子先生にいつも注意されていることです。

 

ハラを据え背筋をぴんと張った姿勢がもっとも横隔膜を下降させ、呼吸器官の容量を大きくするしくみがあることが理解できます。

居合いの刀の振り落としにもこの要領で、気が抜けることなく、力みもなく、スッと刃すじを通して剣先を走らせたいものです。

今回いろいろと考察してみて、姿勢のありようが呼吸に優先することがよくわかりました。正しい姿勢を維持できるようになれば、呼吸も自ずとついてくるわけです。

ハラに力を込めることとは?
 

先月、神無月に日本カイロプラクティック徒手医学会の第13回学術大会が木更津高専にて開催されました。今回の学会でも、いろいろな刺激やヒントが得ることができました。その中から一つ取り上げて考察してみます。

 

日本でもドクター オブ カイロプラクティック、DCの学位を持つ先生も多くなりました。みなさんアメリカで学位を習得してきたガッツのある先生方です。最近、DCの先生で本格的に学術的にも取り組む先生が出てきたことは、たいへんありがたいことです。榊原直樹DCもその一人です。

 

榊原直樹先生はスポーツ医学に詳しく、専門の学位も習得されているとのことでした。ご本人も筋肉もりもりのすばらしい体格の先生でした。

榊原先生のご講義から一つ、体幹筋やコアとなる腹部の筋トレについて、主にアブドミナル・ブレーシングというお話がありました。榊原先生が採用されているトレーニング方法の一つで、Pressure Biofeedback Unitという圧センサー装置で骨盤帯/下腹部の内圧を計り、それを見ながらトレーニングする方法とのことでした。腹部から測定した内圧を一定にできるように、腹筋群などの緊張を一定にしてトレーニングするというものです。

 

まさに武道でハラに力を込めて演武するような、そんな東洋のハラの息のつかいかたを、科学的に行っている方法のように思えたのです。

私自身、ハラのつかいかたを学ぶために、居合いやお能の謡を習いに行っていますが、ハラに力を込める筋肉の使い方を正確に科学的な説明ができないでいます。

 

お能の謡いでは息を口から外に漏らさずに、音(声)を体内にもどし身体の空間に響かす芸術です。したがって体内により大きな空間があれば、声を体内に引き込み方で響きを太く力強くできたり、あるいは発声の際の息を咽の奥後方に向けて発することで高い音程を得ることが可能になっているのです。声帯で音階をつくって歌うこととはまったく違う方法なのです。

 

榊原先生には、不躾で唐突な質問であったかも知れませんが、アブドミナル・ブレーシングの際の筋肉の使い方について尋ねさせていただきました。下腹部に力を込めて維持するときの筋肉の使い方について、榊原先生は私の質問の内容を正しく把握された後、スポーツ医学の研究論文を頭の中でスキャンされ、私の質問に答えられる研究がまだないことを率直に述べてくれました。榊原先生の誠実さといいましょうか、科学と治療実践をともに両立させている真摯な姿勢が伝わってきました。

 

講演終了後、座長を務めてくれた運動連鎖研究所の山本尚司先生が、私の質問について話しを交わしてくれました。山本先生は、東北の震災に毎月なんどか足を運ばれ、リハビリの指導や施術にあたっており、その日も夜通し車を走らせて朝、会場に着いたとのことでした。

その精力的な活動にはいつも頭が下がる思いでいます。118日には山本先生等の活動がNHKで取り上げられ放送されるとのことです。

 

ところで、私の考えでは、ハラに力を込めたまま維持できるためには、横隔膜と腹筋そして骨盤底筋が同時に緊張を保ち、内圧を下腹部に保持する作用が働いていなければならないと考えています。とくに横隔膜が下降し、腹部の内臓を下にグッと押しつけている力が必要です。

ところが横隔膜は随意筋ではないので、意識的に横隔膜を収縮させることはできないのです。あくまでも身体の状況に応じて不随意的に収縮拡張する呼吸筋なのです。意識でコントロールすることはほとんどできないのです。コントロールできるのは息を吐ききるときなのですが、それも腹筋などのはたらきがあってのことでしょう。コンピュータに前のめりなって集中しているときなどでは、横隔膜で息をしていないのではないでしょうか。

 

なにが意識的に横隔膜をグッと下降させるはたらきをなすのでしょうか?

 

山本先生の考えは、強制呼気が横隔膜を下降させるというのです!

吸気筋としての横隔膜が、強制呼気で下降するという発想は思いつかないでいました。

確かに、体感的にはなっとくがいきますが、それを維持するとなると・・・

お能の謡では、しっかり根を張るように息を込めて下腹が張った状態を維持します。

 

はたして神経学的に横隔膜を下降させ維持することが可能なのでしょうか、それとも間接的に力学的な仕組みがあるのでしょうか。

 

たいへん貴重なヒントが得られましたので、これを手がかりに調べてみることにしました。

引き続き考察してみます。

Blueprint 3
 

この週末は、日本カイロプラクティック徒手医学会の学術大会へ出席してきました。今回は日曜だけの参加でしたが、とても収穫がありました。やはり学会活動は良いものです。全国から懐かしく親しみを感じる先生にお会いできたことも、なにかしぜんに心温まる思いです。スタッフのみなさんには感謝です。

 

今回の木更津高専での学会では、私の臨床にとってヒントになるホットな話題がいろいろありました。ここで熱いうちに考察を深めたいところなのですが、まだ、「見えない設計図」と題した内容をまとめていないのでこちらを優先します。

 

マクロからミクロな世界まで、自然界には不連続ですが固有の振動帯域の波動があるということでした。私たちの身体レベルでみますと、呼吸、心臓の拍動、大脳皮質の周期的な脳波、血行動態など、実に様々なリズム的な活動がそれぞれの周期的な帯域で息づいています。

 

Cranio-Sacral-SELF-Waves』を開いてみますと、詳しい数学的な処理はわかりませんが、自然数eを定数に波動の重なりがあるようです。異なった周期的な波がいくつか重なっているように見えます。大きな波動のうねりの中にまた第2の波動が入り、その中にまた第3の波が入るといった、マトリョーシカ人形のような入り子構造になっています。大きな図柄の微細な一部を拡大してゆくと同じ図柄の構造があらわれ、さらに拡大してゆくと次々に同じ様式があらわれるというフラクタルになっているようです。

 

私たちの感覚でとらえられる波動はごく限られた帯域の波動です。私たちの感覚をベースにした事象のみが直接的に知覚されています。

それ以外の宇宙的なマクロの波動や、ミクロの世界の振動は、生で直接的に知覚することはできません。なにかしらの科学の粋を集積した観測器機でそうした世界を垣間見ています。

 

私たちの生の感覚で、Global gravitational background fieldに振動する宇宙の波動を知覚することができるのだろうかと疑問がわいてきました。

 

身体のリズム性に注目した図では、ベースとなる波と位相のずれたシャドー波と呼んでいる波が描かれ、それらの各ノードにたいおうして身体のリズムが規則的に配列されています。身体の様々な活動が、ベース波かシャドウ-波の、それぞれ規則的な周期性の波動にのって息づいているようなのです。

 

さて私が臨床で扱っている身体呼吸運動に関連して考察してみたいと思います。

Dr.サザランドから継承された人達によって、いわゆるサザランド波以外にもいくつかのゆったりとした波が息づいていることがわかってきました。ミッドタイドと言われる約数十秒毎に増減する触感的な内圧変動、それにロングタイドと言われる一分半毎にゆったりとあらわれる潮のような動きがあるのです。したがって触診によってこうした波の重なりの内圧変動が感じ取ることができるのです。ただ私の見解では、こうした波の重なりを実感できるのは、身体呼吸が深まり、いわゆる内在的な呼吸から外界にひろがるような開いた身体呼吸になってからなのですが。

 

患者さんだけでなく施術者側に、心身ともに緊張感がありますと、たがいになにか息苦しさとまで言わないまでも、なにかしら互いにすっきりとしない場ができています。うまく呼吸が互いに融け込んでくると、いつかし呼吸が開いた感じになります。心が開くとよく言いますが、同様に、呼吸が開くと表現しているわけです。たいてい患者さんは眠りに入っているような、入っていないような不思議な感覚でいるようです。

 

呼吸が開き、宇宙の振動に身を任せている状態にあるのでしょう。

 

直接的にGlobal gravitational background fieldに振動する宇宙の波動を知覚できなくとも、身体はそれに共鳴できているのではないかと思えてきます。

 

私たちの感覚を超えて細胞レベルで共鳴してくる振動もあり、そうした自然の波動に細胞が隅々まで深く共鳴し合うことができれば、なにか本来のリズム性を細胞レベルで回復できそうな感じがしてくるのです。

 

臨床はそうしたことを確かめる実践的な場なのでしょう。

 

著者のOlaf Korpiun, PhDは、アプレジャーDOの頭蓋仙骨療法を学んだらしく、本の後半は彼の見解に基づいた施術の方法が書かれています。興味深い点は、身体波動の中心を発生学的な動きから体幹部の中心に持ってきているところです。この点についてまた折を見て考えてみます。

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